“聖女の子”これが初めて彼女が自分を認識したことだった。
“自分”というものに気が付いた彼女は何者かに名を問われ、名とは何だろうか、と少しの間悩んだ。
ふと、彼女の頭の中にある単語が浮かんだ。
それを彼女は口に出した。
“マオ”と。
そして彼女は急激に“聖女の子”としての役目を果たさなければという思いに駆られた。
だが、彼女には役目を果たすためにはどうすればよいのかわからなかった。
その時、先程までは知らなかった彼“ブラウ”が語りかけてきた。
導く戦士の魂をお選びくださいませ、と。
すると、マオの前に三つの魂が現れた。
その三つの魂の中でマオの関心を引いたのは、軍服に身を包んだ青年の魂“エヴァリスト”だ。
次いでブラウはマオに導き手として必要な知識を妖精のフラムとともに代わる代わる教え込んだ。
それを理解したとたん、マオは教えられてもいない、この世界の仕組みをもなぜだか理解していた。
これで“導き手”としての役目ができる、と思った。
あとは、実際に魂を導くだけだ。
どんなふうに始めようかしら、と思考を巡らせた。
マオが先程選び取ったエヴァリストの魂に触れる。
すると、魂のみの存在であった彼が実体を持った。
エヴァリストが目を開ける。
それを見計らってマオは言った。
「はじめまして、私はマオと申します。失礼ですが、あなたの名前を伺っても?」
もちろん、マオは彼の名がエヴァリストであり、グランデレニア帝国騎士であったことも知っている。あえて尋ねたのは、彼がどの程度の記憶を残しているのか確認のためである。
エヴァリストはまだ意識がはっきりしないのか、ややあってからマオが事前に知ることのできたことのみ―つまり、自身の名と役職―を答えた。
そして彼はそれを答えたきり、特に何かに疑問を持つこともなく、ぼんやりと佇んでいた。
てっきり質問攻めに合うことになると思っていたマオは表情には出さなかったが、面喰らった。
(魂の欠損が多過ぎて自我がしっかりと保てていないようだわ。そして、そのせいか外部への関心も薄い。これは……かなりマズイわ。)
それでもマオは彼に認識してもらわなければならないことを言った。
彼が(恐らくは)未練を持って死んだこと。
自分の母である炎の聖女さまが作り出した世界によって死しても存在し続けること。
記憶―今のエヴァリストの状態では自身の意思―を取り戻すことで生き返れること。
ただし、生き返れた時には母の頼みを必ず実行しなければならないこと。
そして、この世界では自分といなければ実体を失い、やがて魂としての存在も消えてしまうことを。
それを聞いたエヴァリストはただ一言、
「そうか」
と言った。
次いでマオが問う。
「私と一緒にあなたの記憶を取り戻しますか?」
「多分、そうしなければならないだろうな。少なくとも私が“私”の意志を持つまでは」
「………あなたの意思が戻った時には?」
「それはその時、としか今は言えないな」
その言葉でマオはホッとした。
一時はエヴァリストの希薄さに不安を覚えたが、とりあえず、彼を自身と行動させる方向に持って行けたからだ。
「手始めに今から少しやってほしいことがあるのだけれど、いいかしら?」
「構わない」
それでは、とマオはエヴァリストの手を引いて外に出る。
着いた先は聖女が彼女達の為に用意した館からほど近くの“魔女の谷”だ。
「今、私達が館の外で行ける場所はここだけです。お母様が言うには、その土地のボスを倒せば行ける場所が増えるそうです」
「では、そのボスとやらを探し出して倒せば良い。ということか」
「はい」
それを聞くと、エヴァリストはその地に足を踏み入れた。
その後ろをマオがついていく。
歩きはじめてしばらく。
森か蝙蝠が飛び出してきた。
エヴァリストが構えを取ったが、何か引っかかるところがあったらしく顔をしかめた。
それを見てマオは自分が重大なことを伝え忘れていたことを思い出した。
今になっては悠長に伝える暇はなく、自分のふがいなさに彼女は歯噛みした。
「動きづらいところがあるでしょうが、今は私の指示のとおりにお願いします!」
それに、彼は次いで出された彼女の指示に沿ったことで返事とした。
エヴァリストが距離をとる。
そして銃を構えて、撃つ。
弾は違わずに蝙蝠へ命中し、蝙蝠は息絶えた。
「先程のは・・・・・・?」
「話すと少し長くなりますので、一度館に戻りましょう」
「わかった」
二人は連れ立って館に一旦戻ることにした。
館に戻り、リビングにある椅子に互いに向かい合って座る。
「さっきの戦闘のことですが、大切なことを言い忘れていました。ごめんなさい。」
「それで、大切なこととは?」
「はい、それは……。館から出る前に私と離れると存在が危うくなると話しましたよね?」
「ああ」
「実は行動にも制約があるんです。なんといえばいいのかはわからなくて感覚的なことになってしまうのだけど……。この世界に満ちている力を私たちが受け取って、その力であなたが行動できるようになるんです。ただ、その力は巡っていて強さが常に変わるのでいつも思うとおりに動けることはないです。また、その力は私、聖女様の子にしか見えません。ですから、私の指示に従ってもらいたいのですが・・・・・・」
「そうでなければ私は満足に動くこともできないと」
「そのとおりです」
「なら、結論は”従う”しかないだろう」
「では、お願いしますね」
話が終わるころには外はすっかり暗くなっていた。
これではもう外へでて活動するには不都合だ。
「じゃあ、明日一番に」
「了解した」
その言葉を交わして、二人は各々の部屋に休みにいった。
翌日、マオとエヴァリストは再び魔女の谷へ向かった。
魔女の谷を牛耳っていた蝙蝠を倒す。
すると、蝙蝠が“カード”になってマオの手に落ちる。
それをマオは持ち歩いているバインダーにしまう。
「これで、魔女の谷以降に行けるようになりました」
マオは続けて言った。
「次の地域は“隠者の道”のようです。すぐに行きますか?」
その言葉にエヴァリストは暫し考えた後、
「ああ」
と答えた。
マオは頷くと、地図にそっと触れる。
すると、地図に描かれていた大陸が消え、より狭域なものが浮かび上がる。
そしてその地図をエヴァリストに渡す。
それを頼りに歩きだしたエヴァリストにマオはついていった。
隠者の道には、先程相手にしていた蝙蝠より若干強い森の小人も棲息していた。
もちろん、それだけ戦闘に手こずることになる。
遠距離から一気に詰め寄られ、とっさに避けきることができず、エヴァリストの血が舞う。
それを気にせずエヴァリストが森の小人をサーベルで斬り返す。
その一撃で森の小人が倒れる。
これで地図に浮かび上がった道は全て調べたことになる。
地図から詳細な道が消え去る。
それと同時にエヴァリストが戦闘で負った傷が治っていく。
戸惑いながらエヴァリストが口を開く。
「これは……?」
「お母様の力を感じました。おそらくお母様が治してくれたのかも知れません」
詳しくはわからないのですけれど、とマオは付け加えた。
その後、一日中隠者の道を探索し、人狼の住処へのルートまで確保することができた。
次の日、人狼の住処の探索を始めた。
ここは“人狼の住処”と呼ばれているが、人狼一切居らず、かわりに大蛙たちの住処であった。
幸い、このあたりに生息しているものは弱いもので毒を持っていない。
戦士がたった一人だけであるマオはそのことに安堵した。
エヴァリストはもちろん知らないだろうが、マオにも戦士が仮にやられてしまったらどうなってしまうのかわからないからだ。
モンスターに襲われて壊されてしまうか、それを免れたとしても満足に戦士を導けないのかとお母様に落胆されてしまうのか……。
そう考えると胸が苦しくなる。
首を振って思考を切り替え、飛び出してきたモンスターへと対峙するエヴァリストへ意識を集中させる。
彼の銃の腕を生かすために距離をとれるよう手配する。
そしてエヴァリストが狙い澄ましてはなった弾はモンスターに命中する。
しかし一撃では倒れず、相手も攻撃を放つ。
それをうまくガードしつつ、距離を保つ。
次にはなった銃撃でモンスターの命を奪う。
その鮮やかな手並みに彼とならば、先ほど頭によぎった不安とは無縁でいられるだろうな、と思った。
とうとうこの地に住まうモンスターのボスがいる地へ行けるルートを見つけ出した。
「これで、この探索は終わりか」
「はい、そうです。今はここの大陸しか存在しないように見えますが、ボスを倒せば今までと同じように」
「次の地へ行けるようになる、か」
「はい」
「なら、さっさと済ませるに限るな」
彼はその言葉の通り、手早く襲い掛かってくる雑魚モンスターを蹴散らし、ボスモンスターの息の根を止めた。
魔女の館のある一帯“HexRealm”のクエストを全て終えた日のこと。
エヴァリストが自室に行ったのを見計らって、マオは一人出かけた。
前々から気になっていたところがあったのだ。
なぜ一人で行くことにしたのかというと。
彼には悪いが、何でもないようなことを話し掛けづらかったのだ。
思えば、エヴァリストとは当たり前だが、ここで生活するので必要なことしか話したことはない。
多分そのせいかな、と考えながら歩く。
いつも外に出る時に通るエントランス。
その一角にあるショップの前に立つ。
どきどきしながら、中に入る。
いらっしゃいませ、と店員のお兄さんが言う。
棚にある様々なものに目が惹かれる。
「お嬢さんはお母さんのおつかいかな?」
「違うけど……、いろいろ見てもいいかしら?」
「どうぞごゆっくりご覧になってください」
入り口近くにあったのは細々とした道具。
そして、その奥を除くと。
そこには、カードが所狭しと並べられていた。
戦士の魂が封じられているカードの中に、エヴァリストのものを見つける。
これは……。
ちらりと値段を確認する。
2000Gem……、ちょっと足りないわね。
あと100Gemもあれば買えたのに。
しかたがない、貯まってからまた買いに行くことにしよう。
そう心に決めると、マオはショップを後にした。
もういつものことになったクエストの探索。
慣れたもので、次々とモンスターを屠っていく。
どんどん探索を進めようとしたが。
「あれ………?」
地図に触れても探索のルートが浮かび上がらない。
「どうかしたのか?」
「ええと……、エネルギー切れみたいです」
「エネルギー切れ?」
そう、エネルギー切れだ。
今までは倒されたモンスターの力を吸収することで事足りていたため、すっかりと忘れていた。
「はい。私は“力”がなければ外ではルートを見つけることも、あなたを連れて入ることもできなくなるんです」
「その“力”とやらは回復するのにどの程度かかる?」
「明日には。ですので今日は探索を続けることはできません」
ややあって彼が、
「ならここにいても仕方ないな」
と言うと、手を差し出してきた。
彼の意図がわからず、彼を見上げる。
「どうした?今日はもう館に戻るしかないのだろう?」
これまではそんなことはしてなかったのに、今日はどうして、と考えて。
言われるままに彼の手を取ってから。
ひょっとしたら気を遣ってくれたのかなと思った。
なら、きっと。
今ならちょっとしたことも言えるかもしれない。
私は勇気を出して口を開いた。
「行きたいところがあるのだけれど―――」
結果として。
彼は私の頼みを聞いてくれて、一緒にショップへと行った。
普通なら、中にも一緒に入って当然なのだけれども。
さっき“私のエネルギー切れ”という普段ならない状況になったとき、彼は私に別の一面を見せてくれた。
では、彼の魂が封じらたカードを彼に差し出したらどうなるのかな、という好奇心が沸いてきて。
できるだけ驚かせようと、ショップの前で待っていてもらうことにした。
ショップの中へと一人で入っていく。
「いらっしゃい、またきたね」
「あのカードが欲しいのだけれども……」
と言いながらエヴァリストの魂を封じているカードを指差す。
「2000GAMになります」
先程の探索でようやく貯まった2000GAMを渡す。
「ありがとうございました」
どきどきしながらショップを出る。
そして、待っていてくれたエヴァリストに話し掛ける。
「あなたの魂の一部を見つけて……いえ、買ってきました」
「は………?」
彼は何を言われたのかイマイチ掴めないらしくぽかんとしていた。
そんな様子を楽しみながら、彼にカードをを差し出す。
まだ混乱しているのか、差し出されるままに彼はそれを受け取った。
すると。
カードはすぅっと彼に溶けるようにして消えた。
途端に、エヴァリストの頭に取り留めのない映像がよぎる。
砦を遠くに臨むどこかわからない風景。
軍を指揮する自身。
無味乾燥な部屋。
金髪で眼帯をした男と親しげに話す自分。
いや、彼は。
――アイザック――
そう、策略渦巻く軍の中であっても気が置けない間柄、だった。
「大丈夫?」
そういってこちらを窺うマオ。
「ああ、大丈夫だ」
「それで、どうでしたか?」
「思い出す、という言葉が適切とは思えないが。少なくとも、親しくしていた者のことくらいはわかった」
「そうですか」
マオはそういうとその話題には興味をなくしたようで、帰りましょうと言わんばっかりに裾を引く。
まだ釈然とはせず、整理もできていないが、この後考えるとしても不都合はないだろう。
今は彼女にしたがうことにした。
黒の森の探索をはじめて数時間。
道の先に人影が見えた。
外ではモンスターとしか出会わなかったため、警戒しながらエヴァリストが進む。
人影は、グレーの髪に質の良さそうな服を着て剣を携えた男だった。
男はエヴァリストを見るなり斬りかかってきた。
エヴァリストが男を切り伏せる。
すると、男はエヴァリストの魂の断片であるカードへと姿を変えた。
なぜ見知らぬ男が自身の魂の断片(だと信じるまで言われ続けた)カードになるのか、とエヴァリストは顔をしかめた。
それを見て慌ててマオが説明しはじめる。
「今戦った相手は、魂の断片を判別して変化する――誰のものでもある魂です」
「一番に対峙した相手の魂の断片になるんです」
「気持ち悪いな。その様に規定された世界だとしても見知らぬ相手が自身になるなど。………かといって自分の姿をしたものと対峙するのもゾッとするが」
一先ず理解して貰えたようでマオは一息つく。
私はどうしてこう、目的の為に必要なことを伝え忘れてしまうのだろう。
ううん、その時になるまで頭に浮かびもしなかったのだろうか。
ひとしきり落ち込んだが、まるで先程のことを気にしてない風のエヴァリストに言われ探索を続けた。
彼の予測通り、探索の最中エヴァリストは自身と同じ姿をしたものと戦うことになったりもしたが、それ以外は普段となんらかわりなかった。
数日後、変わらずに探索をしていた時だった。
エヴァリストは神狼と戦闘をしていた。
エヴァリストに神狼が飛び掛かってくる。
それをサーベルで受け流そうとしたが、先程腕に負った傷のせいで反応しきれず、彼の喉元に神狼が食らいつく。
そのままエヴァリストは押し倒され、血を流して動かなくなった。
信じられない、とそちらを見、マオは思わず後ずさった。
神狼の視線がマオを捕らえ、襲い掛かろうとした。
その時、神狼の姿がかき消えた。
何が起こったのかわからず、ぱちぱちと目を瞬かせる。
ふわ、と何かがマオを包み込んだ。
そっと声が響く。大丈夫ですか、マオ。と。
その声にマオは震えた。
(お母様の声だ……!)
情けない姿を見られ、その上、助けてもらった。
まともに導けもしない子だと失望されたかもしれない……。
怖くて黙り込んでしまったマオに聖女は優しく語りかけた。
――そんなに震えて、怖かったでしょう。でも安心して。私が追い払ってあげたから。ああ、彼なら大丈夫よ。ほら。――
エヴァリストを見ると彼の身体を光が包み、傷が消えた。
――しばらくすれば目を覚ますでしょう。――
そう言われてもまだ黙りこくっているマオに撫でられる感覚が伝わる。
――大丈夫ですよ。マオはちゃんと戦士の魂を導くことができる。私の子ですもの。――
おそるおそるマオが声を絞り出す。
「ダメな子だって、思ったりしない?………見捨てたり、しない?」
――そんなことを思うはずないでしょう。我が子が私の為に働いてくれているのに、そんなことをしたら“聖女”の名が泣くわ。……どうしてそうおもったの?――
「……お姉様たちと妹たちがいるもの。だから出来の悪い子は、」
――そんなこと絶対にないわ。各々にいいところがある。誰が欠けても、私の為には決してならない。――
ようやく落ち着きを取り戻す。
でも、と不安になる。
そんなマオに聖女はくすり、と笑う。
――導く戦士の魂を増やしなさい。そうすればこうした事になりにくいから。どうやって増やせばいいかはわかっているでしょう?――
マオがこくりと頷くと、気配は消えていった。
そこで、エヴァリストが目を覚ます。
気持ちを切り替えてマオは言う。
「大丈夫ですか?」
と。
奇妙な感覚がして目を覚ます。
私は状況が掴めないまま身を起こした。
すると、マオがこちらに近寄ってきて声をかけてくる。
「大丈夫ですか?」
そう問われて、ようやく自分が倒れ伏していた経緯を思い出した。
ぎょっとして辺りを見渡すが、獣の気配はなかった。
次いで自分の身体を確認する。
記憶が正しければ少なくとも大怪我を負っていたはずだが、目を覚ましてから痛みを感じはしなかったためだ。
……傷がなくなっている。
以前にもこうした事があったが、そのせいだろうか。
しかし、情けない。
普段ならば遅れを取るわけのない相手に、と自己嫌悪に陥る。
ふと気がつくと、マオがこちらを心配そうに見詰めていた。
そういえば、まだ返事をしていなかった。
「………とりあえずは」
答えを返すと、彼女は安堵した表情を見せた。
「今日はもう帰りましょう」
マオは私の手を引いて歩きだす。
彼女が先程の失態について何も言わないのを良いことに、館に着くまでずっと黙っていた。
正直、このような決定的な失敗をしたことがなかったため、どのように振る舞えば良いのかわからなかったからだ。
館の中に入ってから、マオはエヴァリストの手を放した。
マオがエヴァリストの様子をうかがう。
彼はきまり悪そうに私を見ていた。
きっと、神狼にやられてしまったことを気に病んでいるに違いない。
初めて見る彼の姿に私は何かしなければいけない、と思ったけどどうしたらいいのかわからなかった。
*******************
結局、何もすることはできずに私は今自室にいる。
さっきの彼が頭から離れない。
………私もお母様みたいに慰めることができたらいいのに。
近くにあったクッションを抱え込んでため息をつく。
今更そのことを気にしていないと伝えたとしても、いや今になって伝えるからこそ逆にの意味に受け止められちゃうだろうな。
「ああ……、もう私のばかーっ!」
言って、ベットに倒れる。
いろんなことが頭に浮かんだが、どれも出来そうもないと判断する度にいろいろとこらえられずにゴロゴロと転がる。
こうなればやけだ。
もう今日のことには触れない。
たとえエヴァリストがどんなふうにしてても、だ。
でもたぶんそうしても気まずいだろうな……。
だめ、だめ!
ならそうならないようにするにはって、また考えが逆戻りしているような気がする。
いっそのこと、今日のことが些細なことだと思えてしまうことが起きちゃえばいいのに。
ふ、と先日のことを思い出す。
ショップで売っていたカードの中に、彼と関係のある人物の魂のものがあったはずだ。
きっと、彼は驚くだろう。
うん、それでうやむやにしてしまおう。
翌日、まだ少し気にしてます、という様子のエヴァリストを有無を言わさずショップへ連れて行く。
ずんずんと中へ入っていて、“アイザック”と記されたカードを購入する。
ちなみに、そのカードを見たときの彼は目を白黒させていたように思う。
呆然としている彼をまた引っ張ってショップの外へ連れて行ってから、カードにじかに触れる。
すると、カードは消えて“アイザック”が実体を持って現れる。
アイザックとエヴァリストは互いの姿を見て硬直したのち、仲良く驚きの声を上げた。
しばらくは二人とも混乱していたので、落ち着かせたりなんだりで大変だった。
ざっくりとアイザックにこの世界の成り立ちを話して、協力することを約束させてるのでこの日はまるまる潰れて探索はできずじまいだった。
けれども、エヴァリストの表情が暗いものではなくなっていて。
一日潰した甲斐はあってよかった、と思った。
アイザックが来て初めての探索。
残念ながらエヴァリストがしとめ損ねた神狼がいる場所は出てこなかったが、戦士の魂のカケラとGem―この世界の通貨―を隠し持ったモンスターが出現する場所は見つけ出せた。
ここなら実入りがいい。
そうマオは判断すると、そこを今日の探索場所に決めた。
探索に出かける前に導き手はバインダー―手に入れた戦士の魂を保管するもの―の確認をした。
実体をとったばっかりのアイザックを先頭にして魂を集めやすくするか否かを考えるためである。
「……エヴァリストが先鋒の方が効率がいいわね」
つぶやくとマオは特に指示を出さずに二人を連れて探索へ向かった。
足を踏み入れた場所からさっそくといわんばっかりにモンスターが飛び出してくる。
当然のようにアイザックも反応してモンスターと対峙しようとした。
が、何かに引っ張られてアイザックは前に出ることはできなかった。
「ダメ、アイザック。ここはエヴァリストの手番だから」
その言葉の意味を測りかねてアイザックが不満げに言う。
「んなこと言ったって、二人でかかるほうが早く済むし危なくないだろ?わざわざ1対1である意味がわかんねーんだけど」
「言ってなかったですか?それもこの世界の決まりです。1対1で3人まで戦いに参加することができる。これを守らなかった場合、聖女様が決めたモンスターの行動がどうなるか……。だから、です」
釈然としないながらもしぶしぶとアイザックは引き下がった。
ちょうど、モンスターを倒し終えたエヴァリストが戻ってくる。
「ごめんなさい、あまり指示を出せてなかったわ」
アイザックへの説明ですっかりエヴァリストの戦闘にまで気が回らなかったことに気づき、申し訳なさそうにマオが言った。
剣についた血を払いつつエヴァリストが言う。
「いや、始めのころとは違って自分でもある程度動ける範囲がわかってきたところだ。気にしなくてもいい」
そこまで言ってエヴァリストが不満たらたらなアイザックに目を留める。
「なんだ、アイザック。自分が戦えなくて不満か?」
エヴァリストのほんの少し笑いを含ませた言葉にじとりとアイザックはエヴァリストを見る。
だが、エヴァリストは気にした様子はない。
「マオ、次はアイザックに任せてみては?」
「そうですね。アイザック、今度の戦闘は貴方に任せる。昨日も言いましたけど、私の指示を参考に動いてくださいね」
「わかってるって!早く行こうぜ」
途端にやる気を出したアイザックにマオは目を丸くしながらも彼らを先導していった。
次のクエストでは提案どおりアイザックが先頭となって進み始めた。
アイザックは出てきたモンスターをさっくりと倒す。
それはもう実にあっさりと。
「あーあ、結構楽しくねぇな。これ」
「楽しい、楽しくないではないだろう」
「それはわかっているけどよ」
「強い相手と戦えればアイザックは満足しますか?」
「ああ」
「…なら、今は我慢していてください。奥地に進めば進むほど強いモンスターが棲んでいますので」
それにアイザックは目を輝かせた。
そして。
黒の森の主はそう日を経たずして倒された。