好きだと囁くのはあまりに普通過ぎたから、代わりに愛してると言ってみたのが始まり。だから、この2人はもう「好きだ」とは言えない。 「お前が好きだ」 「僕も君のことが好きですよ」 と言い合っていたのはまだ毎日が続くと疑ってなかった頃だった。 ところが、時が経ち2人はそれぞれの立場を理解し行動しなければならないことをどことなく感じてしまった。それは明日が保証れない日々の始まりだった。 なにせ、一つの失敗が相手に己の存在を気づかせ、自身を消す機会を与えてしまう。 そんな中で「明日」を盲目的に信じることができる奴はとんでもない楽天家しかいないだろう。つまり「好き」と伝えられないと彼らは思ったに違いない。 だから代わりに、 「九郎、愛してますよ」 「………ああ、俺もだ」 と言葉を交わす。 「愛」は「好き」に比べると遥かに刹那的でそれでいて小さいものだ。激しい愛はともすればすぐに冷めてしまうし、小さな愛は失った時の虚無感はどちらかと言えば少ない。 相手を、ひいては自分を守る為に彼らは愛を囁き合う。そんな打算的な愛、あってないもの。 霞と同じ。 2人も。
逃避行の果てにたどり着いた先は奥州平泉。 そこで僕たちはしばしの安寧を手に入れた。 しかし、冬が厳しくなってきたころ、鎌倉から宣戦布告とも取れる勧告が来てから状況は悪化の一途を辿っていった。 中立を保っていた平泉より、平家の戦いを生き抜いてきた源氏のほうが兵の士気が高く、多大で戦況は鎌倉方に傾いていった。 純白の美しい雪を血で汚す戦いが連日続いた。 平泉の勢力は次第に落ちていった。 戦場になってしまった場所が打ち壊されていくのを見て、火種となってしまった一行は胸を痛めていた。 何をするにもを許可を得なければならない日々を強要された。 やり方は極端だったが、守られていることがさらに歯がゆくさせた。 その現状に耐えることができなくなったのと、平泉の権威が急速に落ち込んだのが重なった。 平泉の中央部の機能はまだ生きているが、地方の機能は完全に麻痺した。 その事態を収拾するため、監視の目が緩んだ。 これを好機として一行は抜け出した。 九郎の、平泉を完膚なきまでも荒らされるわけにはいかない、と言う強い意思に触発されて。 その選択が何を意味するのかも理解しながらそれでも。 九郎のその固い決意にもっとも公開したのは弁慶だった。 景時と決別して、ようやく頼朝という男の本質を知った彼が。 何故浅慮で九郎の行動を支持してしまったのか。 自己嫌悪するが、今は思考にふけるべきときではないと、頭を振った。 先ほど九郎たちを見送り、敵の一陣が来るのを待ち構える。 最後の自分の策__策といっても愚策中の愚策、九郎を尊厳ある死、つまり自決を成功させること__がせめてうまく運ぶようにと祈り。 これが罪を償えなかった咎人への最大の罰であると弁慶は自嘲し、先をにらみつけた。 そして思った。 ここまで僕を入れ込ませた九郎のために逝けるのことが唯一つの慈悲であるのではないのか、と。